南あわじ・藥王寺について

ご祈祷に、淡路島内外から多くの方が訪れます

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
(Oṃ huru huru caṇḍāli mātaṅgi svāhā )

本尊は薬師瑠璃光如来
生死の苦患を除き給い「除病安楽」を本願とする

「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」薬師如来という仏様のご真言です。薬師如来様は古くから東方におられ、瑠璃光を以て衆生の病苦を救う医薬の仏様として信仰される仏様です。

医療が未発達の頃、医者にかかること、薬を手に入れることも一部の特権階級のみという時代、病気平癒といえば祈ることしかないという時代がありました。そのため、疫病が流行る度に薬師如来に救いを求め仏像が建立されるなど、日本でもっとも信仰されてきた如来さまのひとつです。

薬師如来が由来する「薬王寺」「薬師寺」「医王寺」という名前のお寺は全国各地に数多く、今日まで残っていることからもその信仰の厚さを感じることができます。

札所と御詠歌

むねつちの瑠璃のつついの閼伽の水
この藥王の寺に湧き来る
(淡路四十九藥師 第十七番)

百々千歳よろずの病癒しつゝ
筒井の清水くめど尽きせず
(淡路四国八十八所 第十三番)

開基(藥王寺創立について)

和銅元年(708年)行基菩薩がこの地に訪れた時、こんとんと湧き出る清らかな水源を見つけたのが始まりとされています。行基菩薩はその清水から佛の法智水を想い、佛縁最勝の地としました。

そして、自身の41歳の前厄にあたる年に厄除けを祈念し、自ら佛像をご彫刻、殿堂を建て、安置されました。本尊は「藥師瑠璃光如来」 厨子内には日光・月光両菩薩と十二将を供に安置しています。

沿革・推移

爾来変遷詳細は不明ですが、文禄年間(1592年~1595年)に災難に遭い、寛永年間(1634年~1643年)在地に移転、筒井一村こぞって阿萬本庄・寺より分立当寺の檀家となりました。

幕末に洲本城代家老稲田氏母堂の祈祷所として参籠されていました。本堂裏には参籠室が有り、佛具等寄進されました。

なお当寺護持には、当地の庄屋、村氏の尽力があったようです明治初め田村氏の居宅を移し、旧の庫裏としたという記録が残されています。

明治時代、北海道への入植者を当地檀家より多数出し戦後にはブラジルへの入植者も多くあったようです。

主な行事

毎月12日(藥王寺ご本尊「薬師如来」の縁日)に護摩を焚いております。
新年1月1日から行われる厄除け祈祷大祭の余興「大鏡餅運び競争(1月12日)」は各メディアにも取り上げられる注目の催しです。

毎月12日護摩焚き
本尊である薬師如来様に護摩を通じて願意祈願します。
1月1日~1月12日厄除け祈祷大祭
元日から12日にかけて大祭と称して、参拝者のご祈祷を執り行います。
1月1日~2月4日四国八十八ヶ所お砂踏み
本堂内において四国八十八ヶ所各寺院のご本尊が描かれたお軸を掛け、各寺院の砂を踏みながら礼拝していきます。四国八十八ヶ所霊場を巡拝されるのと、同等の功徳を積んでいただけるものです。
1月12日大鏡餅運び競争
厄除け祈祷大祭最終日に余興として淡路島内外から集まった力自慢たちが約170kgの鏡餅を持って距離を競う競争を行います。
7月12日夏まつり
7月の十二薬師。護摩を焚いて参拝者の祈願をし、境内には出店が立ち並びます。

藥王寺の場所について